京都の太秦(うずまさ)にある、広隆寺は日本で最古のお寺になります。
一説によると広隆寺は最初、603年に推古天皇により、京都市北区に建てられました。
ですが、都が平安京に遷都した794年に、このお寺も太秦に移転したと言われています。
この広隆寺と言えば、何と言っても木造の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)が有名です。
日本で一番美しい弥勒菩薩像だと言われています。
台座に腰かけて、下げた左足のももの上に折り曲げた右足をのせています。
その折り曲げた右足の膝の上に、右腕の肘をつき、右手の指先が頬にそっと触れています。
ですがよく見ると少し指が頬から離れているのです。
当初はちゃんと触れていたのだが、漆が剥がれたりしたので、少し離れたのだとされています。
ともかくも気品のある美しい姿で思索にふける姿は、とても有名です。
この弥勒菩薩像に関しては、製作されたのは7世紀あたりとされていますが、誰が製作したのかはもちろんのこと、不明な点が多いのです。
朝鮮半島から来たとする説、日本で造られたのだという説あり、はっきりとは解明されていません。
彫刻像としては、国宝の第一号とされています。
この広隆寺にはこの弥勒菩薩半跏思惟像以外にも、沢山の国宝や重要文化財の仏像等があることでも知られています。
広隆寺には新霊宝殿という宝物殿があり、この中に殆どの仏像が展示されています。
広隆寺は2度も大火にあっているのですが、お寺が建立された時からの仏像等は、火災を免れることができているので、展示されているものは当時のものばかりです。
しかもすべての仏像がガラスケースに収まっているということではなく、ただ展示されていますので、まじまじと間近に見ることが出来ます。
また竹林と塀に囲まれた中にある、桂宮院(けいきゅういん)本堂は、国宝に指定されています。
こじんまりとした小さな建築物です。
聖徳太子を祀っているとされており、以前は聖徳太子像が置かれていましたが、現在、その像は新霊宝殿に移されています。
八角形の平面を持つ「八角円堂」という様式で建てられていて、とても希少価値のある建築物です。
ただし、門が開かれているのは、4月、5月、10月、11月の日曜日と祝日だけですので、その門の中へ入る事は許されていません。
ですので遠くから眺めるということになります。
高山寺は京都市右京区の栂尾(とがのお)にありますね。
高尾山の神護寺よりもっと奥に行った、自然豊かな山の中にありました。
紅葉の季節に来たらさぞかし美しいだろうと思わせるその高山寺は、古い歴史をもつお寺であり、国宝や重要文化財を収蔵しているお寺でもあるのです。
世界文化遺産にも登録されています。
高山寺は鎌倉時代に明恵上人(みょうえしょうにん)により、創建されたお寺です。
創建以来、このお寺は何度も火災にあって、創建当時の殆どの建築物はなくなっています。
ですが創建以来唯一残っているのが、明恵上人の住まいでもあった、「石水院」なんです。
元々「石水院」は経蔵(きょうぞう)として使われていました。
「経蔵」というのは、仏教に関する書物等を収蔵するための建物です。
ですが明恵上人の住居として使われていたのも確かで、鎌倉時代の住宅風建築として残っているものとしてとても貴重なものなので、国宝に指定されています。
そしてこの高山寺で、もっとも知らない人はいないのが、国宝の「鳥獣戯画」です。
高山寺は知らなくても、この「鳥獣戯画」は本やテレビだったかで一度は見たことがあるかもしれません。
ですが高山寺で見ることが出来るのはレプリカで、本物は京都国立博物館(乙・丁巻)と東京国立博物館(甲・丙巻)で保存されています。(紙製の国宝です。 お寺では管理が難しいのです)
でもレプリカだっただって、全巻をじっくり見られるのは嬉しいことです。
全部で甲乙丙丁の4巻になっています。
甲乙巻が平安時代、丙丁巻が鎌倉時代に描かれたとされていますが、はっきりとした作者は分かっていません。
とは言え、筆運びのうまさ、自由奔放に描かれた様、絵に関する技術力もかなりものとされています。
特に甲巻は、擬人化されたウサギ、サル、カエル、キツネ等が繰り広げる、ユーモアあふれた巻になっていて、一番知らない人はいないものとなっています。
川遊びに興じるサルやウサギから始まり、ウサギとカエルの弓の競技へと移ります。
全編、楽しくてしょうがないと言った雰囲気満載で、誰もが思わず笑ってしまうようなユーモアと楽しさが見つけました。
全長11.5メートルの長さの絵巻物です。右から左へと移って行く絵を目で追うようになっています。
日本最古の漫画とも言われるのも納得が行きます。
この高山寺には日本最古の茶園があることでも知られています。
お座敷に座って美しい木々を眺めながら、抹茶と和菓子を味わうことが出来ます。